劇団四季=バリアフリー演劇?

ちょっとしたきっかけで、劇団四季の『解ってたまるか!』を見てきました。ミュージカルは見たことはありましたが、ストレートプレイを見るのは初めてでした。
いや、それにしても、驚きました。
芝居のテンポがものすごく遅く感じられたからです。もう、尋常ではないくらいに遅かったのです。
たとえば、劇中こんな台詞があります。

村木  ブンカジン…、何だ、それは?
明石  文化人ですよ、進歩的な…。
村木  だから、何だと言つてゐるのだ、そのブンカジンといふのは…、日本人か?

口語的な台詞の言い回しに慣れている私としては、「村木」の言う「だから」はややつんのめり気味に、「だーら」と聞こえるぐらいに軽く言ってくれてもちっともかまいません。「といふのは…」なども、あまり聞こえなくても気になりません。要するに、台詞のテンポに波があって、声の大きさにも大小があって、多少細かい部分が聞こえなくても気にならない、というか、そのほうがむしろリアルに聞こえるわけです。
ところが、劇団四季の場合、全ての台詞が、一言一句にいたるまでぬかりなく、はっきり聞こえたのです。これには驚きました。新劇系の舞台でもここまで朗々と台詞を読み上げることはないように思います。
ただ、劇団四季の演劇界におけるポジションはかなり特殊ですから、もしかしたら、私が驚いてしまった「全ての台詞をはっきりと言う演技体」というのは、ガラパゴス的な進化の帰結なのかもしれません。どういうことかといいますと、「皆に受け入れられる劇」であるためには、徹底して分かりにくい部分を排除しなければならない、ということです。もちろん、喜劇の面白さを考えれば、テンポなどは重要だとは思うのですが、そういった良し悪しは抜きにしても、劇団四季の観客層を見ると、「目を閉じても何をしてもどの座席にいても、台詞が良く聞こえて、どういう展開になっているのがよく分かる」ということが最重要であることのように思えるのです。
と考えて、私は妙に腑に落ちてしまいました。そして、帰り道にそんなことを考えながら、ああ、これは「バリアフリー演劇」と呼ぶにふさわしいかもしれない、などと思ったのでした。
(吉)