「私小説」ならぬ「私演劇」ってこういうことかも。――もうすぐはこぶね新作、はじまります。

さてさて、2月10日からペニノの新作、『誰も知らない貴方の部屋』がはじまります。


はこぶね、という劇団アトリエ、元タニノの部屋、は現在稽古&舞台美術づくりの真っ最中です。






こんなふうに改造して、





古いエアコンもはぎとって、




塗り塗りして。




実はこれ、年末の様子。舞台美術づくりは今、佳境を迎えています。


ハイ、佳境です。連日、気の遠くなる作業がつづきましたが、いよいよ完成が近づいてきました。
お見せするのが楽しみです。幕があいた瞬間の、驚いた表情を陰からこっそり見たい!



「私演劇」のありうるかたち。


ところで、この元タニノの部屋で作業をしていて、ふと思ったんですが、これは究極の「私演劇」なんじゃないかということです。


文学の「私小説」みたいに、「私演劇」というものがあったとしたら、今回のはこぶね公演って、それの究極形じゃないかな、と。


って、「私演劇」というワードは、私のオリジナルではなくて、こちらの本で定義されています。

メロドラマの逆襲―「私演劇」の80年代

メロドラマの逆襲―「私演劇」の80年代


この本では、80年代演劇が「私演劇」として定義されて議論がすすむのですが、おもしろいのは、「私演劇」っていうのが言葉としてムジュンしたものだ、っていう指摘がされていることです。


小説の場合、「私」という存在と、その内面を「書く」という行為はすんなり結びつきます。でも、演劇の場合、そもそも複数人数が関わらざるをえないし、たとえ一人でぜんぶつくったとしても、「上演」のためにはどうしたって「私じゃないもの」が入り込んじゃう。だから、そもそも「私演劇」という言葉には、ムジュンがある、と。


って考えたとき、元タニノの部屋っていう、そもそも空間が「私一色」であること、おまけに、作品の中身が、当時タニノが住んでいたころの妄念から出来上がっていること、この2点がそろっている今作って、「私」とそれを媒介するものが密に結びついていて、けっこう「私演劇」を地でいってるんじゃないか、なーんて思えるのです。

家のなかでの上演、ということ自体はそう珍しいことでもないと思うのですが、ここまで「私一色」な舞台は滅多にないんじゃないんですかねー。


そういう意味での「私演劇」。この言葉と、今作の『誰も知らない貴方の部屋』というタイトルも、どこか共鳴してる! なーんて思うのでした。


ま、ともかく、とにかく舞台美術に役者さんの変態っぷりで驚かせたい! ひゃー見てよかった、って思ってもらいたい! と思って毎日やっておりますので、どうぞお楽しみに。
(吉)